認知行動療法とは — 発展の歴史
認知行動療法(CBT:Cognitive Behavioral Therapy)は、現代の心理療法のなかでも最も科学的根拠に基づいた治療法の一つとして広く知られています。CBTは、患者さんが抱える辛さや症状の背景にある「ものの見方」や「行動のクセ」に着目し、それらを柔軟で適応的なものへと変化させることを目的とした心理的アプローチです。
CBTの基礎にある考え方は、「人の感情や行動は、その人が何を経験したか(出来事)そのものよりも、それをどう捉えたか(認知)によって決まる」という認知モデルです。この考え方は一見直感に反するように思えるかもしれませんが、たとえば同じ出来事に直面しても、ある人は落ち込み、別の人は奮起するといった反応の違いを説明する理論と考えるとわかりやすいでしょう。
CBTの起源は、1950年代から1960年代にかけて発展した行動療法と認知療法にあります。行動療法は観察可能な行動に注目し、それがどのように習得・維持されているのかを科学的に解明しようとするアプローチです。たとえば、ロシアの生理学者パブロフによって提唱された「古典的条件づけ」は、犬にベルを鳴らしてから餌を与えることを繰り返すと、やがてベルの音だけで唾液が分泌されるようになるという現象を指します。これは、「もともと無関係だった刺激が、経験によって新たな意味を持つようになる」こと、つまり学習の仕組みとも考えられます。
一方、アメリカの心理学者スキナーによる「オペラント条件づけ」は、行動の結果として報酬や罰が与えられることで、その行動の頻度が変化するという理論です。たとえば、努力した後に褒められることで努力を継続しやすくなる、というような仕組みを指します。行動療法ではこうした学習理論に基づき、暴露療法※1や逆制止法※2といった応用技法が開発されてきました。
これに対して、1960年代にアメリカの精神科医アーロン・ベックによって提唱された認知療法は、うつ病の患者さんに特徴的な否定的な思考パターンに注目し、それらの「自動思考」や「信念」を修正することで、感情や行動が改善することを示しました。
このように、CBTはもともと別個に発展してきた行動療法と認知療法を統合し、1970年代以降に確立されたものです。ベックが提示した「認知モデル」は現在のCBTの中核をなしており、患者さんの感情や行動は、状況に対する自動的な思考に左右されるという考え方に基づいています。そして、この「自動思考」はより深いところにある「スキーマ(基本的信念や価値観)」に支えられており、CBTではこのスキーマレベルへのアプローチも重要視しています。
CBTは当初、うつ病や不安障害の治療に焦点を当てて用いられてきましたが、その後、強迫症(強迫性障害)、パニック障害、社交不安障害、摂食障害、PTSD(心的外傷後ストレス障害)など、さまざまな精神疾患に応用されてきました。さらに、慢性疼痛や糖尿病、がんなど、身体疾患に伴う心理的苦痛への対応としてもCBTが注目されています。
CBTの発展型と周辺手法
また、近年では「第3世代のCBT」と呼ばれる新たな潮流も登場しています。これは、従来のCBTに加えて、マインドフルネス(気づきや現在〔今ここ〕への集中)や、自己受容、価値観に基づく行動といった概念を取り入れたもので、たとえばアクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT)や弁証法的行動療法(DBT)などが代表的です。これらは症状の除去だけでなく、「自分らしい生き方の回復」に焦点を当てている点で特徴的です。
日本においても、2000年代以降、精神科領域を中心にCBTの導入と普及が進みました。2008年には、うつ病に対するCBTが保険適用となり、医師や臨床心理士向けの研修制度も整備されています。また、日本ではCBTを在来の心理的アプローチと融合させる試みも行われており、その一つが内観法という技法です。内観法は、過去の人間関係を「してもらったこと」「して返したこと」「迷惑をかけたこと」という3つの観点から振り返る日本独自の内省技法であり、自己理解と他者理解を深める点でCBTとの親和性が注目されています。
さらに、行動活性化療法も日本で注目されている技法の一つです。これは、うつ状態にある人が意欲の低下によって活動を避けるようになる悪循環を断ち切り、意図的に行動を起こすことで、気分や自己効力感の回復を促すものです。CBTにおける行動的技法のなかでも、特にシンプルかつ効果的な手法として評価されています。
このように、CBTは理論的にも実践的にも多くの知見が統合された、今なお進化し続けている心理療法なのです。
CBTの理論的基盤 〜認知モデルとスキーマ
認知行動療法(CBT)の中核には、「認知モデル」と呼ばれる考え方があります。このモデルは、私たちの感情や行動は出来事そのものではなく、それに対する認知、すなわち「どう考えたか」によって形成されるとする理論です。
たとえば、友人に挨拶を無視されたとき「嫌われたに違いない」と考えれば悲しみや怒りが生じる一方で、「聞こえなかったのだろう」と考えればマイナス感情はあまり湧かないかもしれません。同じ状況でも、どのような自動思考が浮かぶかによって、感情やその後の行動がまったく異なるものになるのです。
この「自動思考(automatic thought)」とは、ある状況に直面したときに瞬間的に浮かぶ思考であり、多くは意識されないまま感情や行動に影響を与えています。CBTでは、この自動思考の内容を明確にし、それが現実的かどうか、偏りがないかどうかを検討し、必要に応じてより適応的な思考に修正することを目指します。
自動思考の背後には、その人が長年にわたって形成してきた「スキーマ(schema)」が存在しています。スキーマとは、自己や他者、世界に対する根本的な信念や前提のことを指します。スキーマは、幼少期からの経験や人間関係のなかで徐々に作られていくものであり、認知のフィルターの役割を果たしています。
たとえば、「私は価値のない人間だ」というスキーマを持つ人は、たとえ日常の些細な出来事でも、あたかもそれを証明するかのように受け取ってしまいがちです。そして、それに基づく自動思考が繰り返されることで、気分が落ち込みやすくなり、社会的な活動も減少していくという悪循環が生まれます。
CBTでは、このスキーマに対しても段階的に働きかけていきます。まずは自動思考に注目し、それがどのような前提に支えられているかを丁寧に探っていくことで、深層にあるスキーマの存在に気づき、必要に応じてその柔軟化を図ります。これはいわば「思考のクセ」の深掘り作業であり、自己理解を深めるプロセスでもあります。
スキーマに関連する概念として、「認知の歪み(cognitive distortion)」というものがあります。これは、現実を偏った形で解釈してしまう思考パターンのことで、CBTではこの歪みに気づき、修正することを重要な目標としています。代表的な認知の歪みには、「オール・オア・ナッシング思考(物事を白黒で判断する傾向)」「過度の一般化(ひとつの出来事を全体に拡大する)」「破局化(最悪の結果を想定して不安を高める)」などがあります。
このように、CBTの理論的基盤である認知モデルは、自動思考とスキーマという二層構造を通じて人間の感情や行動を理解し、それに働きかける手段を提供しています。自動思考への介入は目の前の苦痛を和らげる効果があり、スキーマへのアプローチは長期的な再発予防や深い自己理解を促します。
さらに、近年注目されている前述の第3世代のCBTでは、「考えを変える」だけでなく、「自分の考え方との柔軟な付き合い方」を学ぶことにも重きが置かれています。スキーマの内容そのものを否定するのではなく、それを抱えながらも自分にとって大切な方向へ行動していくという考え方が、その中心にあります。こうした視点は、CBTをより柔軟で人間中心のアプローチへと進化させています。苦しみを完全に取り除くことよりも、それにどう向き合い、自分らしく生きるかを支えることが、現代CBTの大きな特徴となっています。
※1不安や恐怖を感じる対象に、安全を確保したうえで敢えて少しずつ触れることで「慣れ」を促し、過剰な不安などを軽減する治療方法
※2不安や恐怖、緊張などの(マイナスの)感情が生じた際、反対の(プラスの)感情を生起させることによってマイナス感情や緊張を取り除こうとする方法