連載 第133回 帯津良一の「養生塾」

最期は自然なかたちで
旅立たせたい

 
帯津良一  帯津三敬病院名誉院長 帯津三敬塾クリニック顧問

「患者が納得できる最期」に向けたサポートが医療者の基本的立場

 私の病院では、患者さんの死に際して、必要以上の医療行為は行いません。患者さん自身にも、そのご家族にも、折に触れて「自然に」という話はしています。
 「そのときが来るまでは最大限の努力をします。そのときがきたら、自然でいきましょう」
 こうした話は、改まって個室でするのではなく、廊下などですれ違った際の立ち話のなかでそれとなくします。ですから、ご家族も理解してくれていて、患者さんのそばで静かに旅立ちを見送ることがほとんどです。死に際の患者さんの体にも心にも負担となる医療行為によって、わずかばかりの延命ができたとしても、それがどのような意味を持つのかは疑問です。自然の流れに沿って、無理なく旅立ちの瞬間を迎えたほうが遥かにいい。私は、そう思っています。死は人生のクライマックスなのですから……。
 ホリスティック医療の視座で言えば、患者さんは言わば共に病と闘っている〝戦友〟です。その友が凶弾に斃れたときは、黙って静かに見送ります。そして、患者さんのお顔が、まるで仏様のような穏やかなものになっているのを見届け、お別れを告げます。どうか道中、ご無事で……、と。病気というのは、いつも治るとは限りません。この世に生きとし生けるものは例外なく、いつかは死を迎えます。ですから、その病気が「最後の病」となるケースも多々あります。それならば、その患者さんが病気という「人生の1つのステージ」をどのように生きるのがいちばん良いのかを考えるのが大切だと思います。患者さんが納得できる最期をご家族と共にサポートしていく。それが医療者の基本的な立場だと捉えています。

周りに感謝し、自分を労って逝く

 私が半生を賭して追い求めているホリスティック医療は、死の苦痛を和らげるターミナルケアとは異なります。ターミナルケアは、ある意味で「諦めの医療」とも言えます。万策尽き、可能な限り苦痛なく死を受け入れてもらおうというものだと捉えています。
 しかし、ホリスティック医療は、諦めるということがありません。西洋医学にしても、東洋医学にしても、あるいは民間療法でもやれることはあるわけですから、最後の最後までありとあらゆる手を尽くすよう努めます。そして、大局的に見て「そろそろだな」といった状態になったときに自然に送り出すのです。私の病院では、死の間際の患者さんに行うのは、血圧が下がったら上昇させ、おしっこが出なくなったら出してあげるくらいです。それなら患者さんの負担になりませんし、血圧が下がったり尿が排泄できなかったりすれば、気持ち悪いかもしれませんので……。
 私は、職業柄、数え切れない人たちを見送ってきましたが、いい旅立ちだな……、と感じる「死の現場」に遭遇することも少なくありません。ベッドを囲む人たちに「ありがとう」と告げて逝ったり、奥さんやご主人、あるいはお子さんに「いい人生だったよ」と言い置いて旅立ったりする人たちがいます。その場の空気が温かく和むような心に沁みる場面です。
 近畿圏のある私立大学の学長を務めていたSさんは90歳代で亡くなられたそうですが、常々、「死ぬときはみんなに『ありがとう』と言って、その後で自分で自分に『ご苦労さんでした』と労って逝く」と話していたそうです。この話には後日談があり、Sさんを尊敬していたある方が、Sさんが亡くなられた数カ月後にそのご自宅を訪ね、本当に自分を労って旅立ったのかをご家族にうかがったようなのです。
 その方はがんになり、私の病院で亡くなられました。呼吸法に注力していて死の間際までそれを続けていたようです。その理由をうかがうと、このような言葉が返ってきました。
 「もう先のことはわからないから、毎日毎日、楽しいことを考えるようにしているんだよ。楽しいことが見付からないときは呼吸法をやるんだ。呼吸法をやっていると、だんだん楽しくなってくるんだ」
 この方は、亡くなる直前、一枚の紙に何かを書いて旅立たれました。その後、紙を開いてみると「皆さん、ありがとう」という言葉と、ご自身の名前に「くん」を付け、「ご苦労さま」と書いてありました。この方は80歳でお亡くなりになりました。敬愛するSさんの死に方を踏襲されたのです。この「死の現場」に居合わせた私は、こんなことを思っていました。生老病死という人生のラストシーンはかくありたい……、と。

さまざまな方法の提示が患者の心に希望の灯を点す

 がん告知は、すでに一般的になっています。それでも、「どうにもならないがんであれば、告知されないまま死なせてほしい……」と考える人も少なくないと思います。希望の灯が点っているのならまだしも、真っ暗闇の中に放り込まれるようながん告知は残酷過ぎるという見方もあります。告知されなければ、患者さんは希望を繋ぎ止めることはできるが、治る見込みがないがんであれば絶望の淵に立たされてしまう、といったことなのでしょう。
 問題はその「どうにもならない」ことの中身だと考えます。オーソドックスな医療では、この「どうにもならない」という場面が多過ぎる気がします。主治医に「もう治療法が尽きたので、退院して家に帰るなり、ホスピスに入るなり、好きにしてください」と匙を投げられた患者さんは、ただ死を待つだけの状況に置かれてしまいます。
 しかし、ホリスティック医療では「どうにかなる」「ひょっとしたら効くかもしれない」という可能性を秘めているものが1つや2つはあるのです。それはもちろん起死回生を図る特効薬や奇蹟を起こす秘薬ではありません。それでも、「絶対にどうにもならない状況」に陥ることは基本的にはありません。どのような状況でも、〝可能性〟を模索する方法があるのです。今までやってきた治療に代わる方法があれば、それは患者さんには希望となります。たとえば、漢方薬の効果が乏しければ、気功やビワの葉のお灸……など、それまで試みていなかった治療でアプローチしていけばいいのです。そのようなときこそ、多彩な〝戦術〟を持ち合わせているホリスティック医療の真価が発揮されるのです。
 それらの方法を子供騙しだと批判する向きもあります。しかし、このような話をするだけでも、曇っていた患者さんの顔に少しずつでも確実に晴れやかな表情が戻ってきます。そして、実際にこれらの方法が何らかの症状改善に役立っているケースは枚挙にいとまがありません。何が突破口を開くきっかけとなるのかがわからないのががん治療だとも言えます。私たち医療者が可能性を信じ、さまざまな方法を提示できれば、真っ暗闇の中に身を置いている患者さんの心に、希望の灯を点すことができるはずです。
 私の病院では、患者さんの心をサポートしていく専門家が院内を飛び回っています。がんに対する〝戦略〟を練り、〝戦術〟を決めるのと同時に、さまざまな角度から患者さんをサポートする人材を擁することもホリスティック医療では重要なポイントです。「どうにもならない」という諦念を「どうにかなるのかもしれない」という心持ちへと変えることがホリスティック医療に託された役割の1つのような気がします。

 (構成 関 朝之)

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