連載 第132回 帯津良一の「養生塾」

体・心・命のポテンシャルを高めてこそ起こる
「奇跡的な出来事」

 
帯津良一  帯津三敬病院名誉院長 帯津三敬塾クリニック顧問

奇跡的な〝生還〟の背後にあったパワーのようなもの

 私は、治療に臨むがん患者さんに「奇跡はありませんよ」と話します。少しずつ、でも確実に前進していくのががん治療です。その点では、マラソンや登山と同様で、一気にゴールへと到達することも頂上に立つこともできません。一歩ずつ進んでいく心構えが大切です。それでも、私の医療者生活もずいぶんと長くなりますので、「奇跡に近いこと」は、幾度か目にしています。ただし、それらはあくまでも「奇跡」ではなく「奇跡的な出来事」と捉えています。いずれのケースも、奇跡的に治るそれ相応の理由が積み重なっているのです。
 若くして胃がんに罹患し、それが進行し過ぎて「手術はできない」と告げられながら、奇跡的に治った男性のケースを紹介します。
 Sさんの奥さんが私の病院へ相談に来たのは、胃がんの転移が広がり、彼が抗がん剤治療を受けていたときです。相談の概要は「がん専門病院で受けた抗がん剤治療の副作用で白血球が減少した。その数を上げるため、帯津三敬病院に転院したい」というものでした。
 その相談事に対し、私は「それは無理でしょう」と答えました。白血球数を上げるのが、ではなく、転院するのが、です。国内でも屈指の設備を整え、がんの標準治療を牽引する病院の医師が、地方の病院に転院させたがらないだろうと思ったのです。そのことを聞き終えた奥さんは、「転院を頼むだけ頼んでみる」と、がん専門病院の主治医に相談すると言い出しました。その結果、快く承諾してもらったのです。
 私の病院に転院してきたSさんは、漢方や気功に一生懸命に取り組み始めました。そうしているうちに白血球の数が増えてきて、がん専門病院へ戻っていったのでした。そして、抗がん剤治療を受け終えた時点で、外科の担当医から「このがんは摘出できる。手術をしましょう」と言われます。その時点で再び奥さんが私の病院にやってきました。手術を受けるか否か、迷っていたのです。私は手術を受けることを勧めました。手術が不可能な状態から可能な状態へと転じる僥倖は滅多にあるものではないと思えたからです。
 Sさんの手術は大成功でした。がん専門病院のその外科医は大動脈のすぐ脇の病巣を鮮やかに摘出していました。元々、外科医である私から見ても、驚嘆すべき技術です。
 その後、Sさんは社会復帰を果たし、元気で働き始めました。そして、その奇跡的な体験を自ら綴り、書籍としてまとめました。崖っ縁から見事に生還した彼の物語は、多くのがん患者さんに希望の灯を点したに違いありません。
 私は、かねがね、将来、がんという病が克服される日が到来するとすれば、それは遺伝子学でも分子生物学でもなく、心が科学的に解き明かされ、客観的に再現性を持って捉えられるようになったときに違いないと思っていました。この考えは、今でも変わりません。それほど、がんに対峙するには、心は大事なのです。
 Sさんの奇跡的な体験にも、その中心には彼の心があったのは間違いありません。けれども、それだけでは片付けられない何かが、Sさんの場合には存在したような気がします。それは、大病に見舞われたなかでも、周囲に素晴らしい人たちがいた、ということです。
 その筆頭は、何と言っても奥さんです。私の診察にいつも付き添ってくる彼女の様子から、強固な夫婦の絆が感じられました。
 また、Sさんが抗がん剤治療と手術を受けたがん専門病院の医療者との出会いにも恵まれたのだと思います。快く私の病院に転院させてくれた主治医の先生、優れた技術で摘出手術を行った外科の先生……。その他にも、絶望の淵において、いろいろな人たちとのコミュニケーションを得て、Sさんの自然治癒力が小爆発を繰り返し、やがて大きな爆発に到ったのではないでしょうか。
 グラスゴー(イギリスのスコットランド南西部に位置する都市)のデヴィッド・レイリー氏は、ホメオパシーの世界的権威として知られています。そのレイリー氏は「自然治癒力はコミュニケーションのなかで生まれる」と述べています。
 Sさんの〝生還〟の背後には、交流や養生を通して得られたパワーのようなものが感じられます。単なる奇跡がSさんに降臨したのではないのです。体を治す西洋医学と、心や命のポテンシャルを高める人や場との出会いが、理想的に結び付いた結果であると見るべきです。

体内のエネルギーは宇宙のエネルギーと交感している

 先述のSさんの「奇跡的」と称してもいい〝生還〟は、体を治し、かつ心・命のポテンシャルを高められたからこそ起こり得ました。体、心、そして命……。私は、西洋医学に限界を感じてから、「いったい命とは何なのだろうか?」と自問するようになりました。しかし、命も心と同じく肉眼で捉えることはできませんし、手で触れることもできず、漠然としています。〝正解〟には辿り着けないでいました。そんな日々のなかで、ふと疑問が湧いてきたのです。そういえば、あの隙間は何なのだろう、と。
 「あの隙間」とは、私たちの体の中にある〝空間〟です。腹膜と臓器の間の他にも、肺と肋膜、肺と心臓、横隔膜と肝臓、肝臓と胃、胃と膵臓……といった具合に、それぞれに隙間が存在しています。いや、むしろ隙間だらけと言えるのではないでしょうか。
 長年、外科医として手術をしていた私は、毎日のように患者さんの体の中を覘き込んでいたので、ふと、「あの隙間は何なのだろう……」と考え始めたのです。そして、「あの隙間には、繋がりのようなものが存在しているのではないか」と思い当たったのです。何もない空間ですが、無意味な隙間だとは思えませんでした。事実、その隙間があるからこそ、手術ができるわけで、「何もない」イコール「無意味」ではないのです。それどころか、その「何もない空間」には、張り巡らされたネットワーク網のような〝繋がり〟の役目が託されていると直観したのです。そして、そこにこそ、私たちが「命」と称しているものが宿っているように思えてきました。それが、自分の病院をつくって間もなくの、1985年か1986年のことだと記憶しています。
 先述のように私たちの体内には空間が存在しますが、そこは閉ざされた空間ではありません。私たちを包み込んでいる皮膚は穴だらけですし、厳密に言えば肺や食道、胃なども外界と繋がっているのです。となると、「私は私である」とばかり独存的なことは言っていられなくなります。「私」の命は他者の命と繋がっていて、自分が身を置く外界、つまり「環境のエネルギー」とも結び付きがあるのです。
 たとえば、私が暮らす川越市は日本にあり、日本は地球上に存在します。その地球は太陽系にあり、太陽系は銀河系の中にあります。銀河系には3000億個の星が存在すると言われていますが、そのような銀河系と同じようなサイズの星雲が宇宙にはさらに3000億個もあるとされています。そんな宇宙のエネルギーが私たちを包み込み、皮膚の穴などを通して私たちの体内のエネルギーと交流していると考えれば、宇宙の命の一部は「私」の中にも宿っているのではないでしょうか。言い換えれば、私たちのエネルギーは無限大の宇宙のエネルギーと常に交感しているのです。

(構成 関 朝之)

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