昨日より今日が一歩後退しても、明日は半歩前進するかもしれない
がんは、治りにくかったり、再発の恐れがあったりします。ですから、がん患者さんは、多かれ少なかれ、心のどこかで不安感や恐怖感を抱いています。腫瘍マーカーの検査結果に一喜一憂したり、死の恐怖に囚われたり……。患者さんの心は常に揺れ動いているのです。その心は病気と相関性があります。とりわけ、がんという病気とは強い関連があると言っても過言ではありません。
たとえば、乳がんの患者さんがふたりいて、その病期はほぼ同じで、似たような抗がん剤治療と放射線治療を受けていたとします。そして、ふたりとも漢方薬と鍼灸を取り入れていれば、西洋医学の観点では同様の経緯を辿って、よくなったり悪くなったりするはずです。けれども、一方の人の病状がどんどんよくなるのに、もうひとりの人の病状は徐々に悪化していく、というケースは少なくありません。
そのような症例を多く間近にして気が付いたのは、気持ちが明るく前向きな人のほうが治りやすいのではないか、ということです。実際、ネガティブな人に比べ、ポジティブな人のほうがよい状況にあることが多いようでした。もちろん状況がいいから明るく前向きでいられる、とも言えるわけですが、たしかにポジティブな人のほうが治りやすいという傾向は見られたのです。
当時、私は、西洋医学だけでなく中国医学も取り入れた帯津三敬病院をスタートさせていました。その病院の中で、患者さんの気持ちを明るいプラス思考にしていくためのサポートの必要性を痛感し、新たに心理療法のチームを組んだのです。
ところが、いざ心の専門チームを始動させてみると、自分は勘違いしていたのではないだろうか……、という思いが湧いてきました。元来、人間は明るく前向きな心を持ち合わせておらず、明るい・前向き・ポジティブ・プラス思考……といった感情は、実のところ、とても脆い心のあり方なのではないかと考えるようになったのです。換言すると、「明るく前向き」「ポジティブ」「プラス思考」というのは、心の表層に過ぎないのではないか、と思い始めたのです。
というのは、前向きな姿勢でがんと対峙している患者さんでも、腫瘍マーカーの数値が少し上がったり、病巣が大きくなったりすると、がくんと落ち込んでしまいます。と同時に、暗いマイナス思考になってしまいました。担当医の「今度の検査結果は、あまりよくありません」というひと言によって、患者さんは奈落の底に突き落とされたような心持ちになって、顔を曇らせ、さらに暗い影が射してくるのです。また、普段、明るく振舞っている患者さんでも、病室にひとりになったとき、不安感に襲われてベッドから跳び起きたり、恐怖感を募らせて大声を上げそうになったりした、という話をよく耳にするようになったのです。
そんななか、私は考えるようになりました。どうも人間という生き物は前向きにはできていないようだ……、「明るく前向き」というのは、人間の本来の姿ではないのではないか……、と。そして、間もなく私は「患者さんの明るく前向きな気持ちをサポートする」という考えを撤回したのです。
では、人間の心はどのようにできているのだろう?……。その問いの答えを求め、私は街中や電車の中などで人間観察を続ける一方、多くの本を読みました。そして、行き当たった一冊が、脚本家の山田太一さんが編んだ『生きるかなしみ』(ちくま文庫)というエッセイのアンソロジーでした。山田さんはその序文に「断念するということ」と題し、次のような文章を寄せていました。
「生きるかなしみ」とは特別のことをいうのではない。人が生きていること、それだけでどんな生にもかなしみがつきまとう。「悲しみ」「哀しみ」、時によって色合いの差はあるけれど、生きているということは、かなしい。いじらしく哀しい時もいたましく悲しい時も、主調低音は「無力」である。ほんとうに人間に出来ることなどたかが知れている。偶然ひとつで何事もなかったり、不幸のどん底に落ちたりしてしまう。
まさにそのとおりだと、私は快哉を叫びました。以来、患者さんに「『人間とはかなしくてさみしいものだ』と決めようではないですか」といったことを話すようになりました。つまり「かなしみやさみしさといった人間の心の原点に立ち、そこから未来に向かって希望や生きがいを育んでいこうではありませんか」というメッセージです。
かなしみ・さみしさを心の原点に据えるので、多少、腫瘍マーカーの数値が上がっても、腫瘍が大きくなっても、気持ちが落ち込むことはありませんし、ひとり病室で気分が滅入ってしまうこともありません。たとえ今日が昨日より一歩後退したように思えても、明日は昨日より半歩前進するのかもしれないのです。
心で育んだ希望には根がある
心は、命と同様、肉眼で捉えることも、手で触れることもできません。脳科学者は「心とは脳内現象だ」と言ったそうですが、実際のところ、心の在処やメカニズムは未だに解明されていないのです。それでも、心には体と分かち難い結び付きがあるのは確かです。
たとえば、強いストレスを受け続けると胃が痛んだり、腸の働きが不調になったりします。あるいは、怒りが込み上げてくると体が硬直したり、呼吸が乱れたりします。その反対に、お酒が好きな人ならば一日の仕事を終えて好きなつまみを肴に胚を傾けているとき、読書が好きな人ならば本のページをめくっているときなどは、ゆったりと落ち着いた気分になり、ストレスで胃腸が痛むことも、怒りで体を硬直させることもないはずです。このように心と体には強い相関関係があるのです。
もちろん、心の状態は一定ではありません。患者さんを見ていると、その日の病状やデータが変わるたびに心配したり喜んだりしていますし、がんへの恐怖に囚われたり死の不安に絡め取られたりもしているのでしょう。それでも、それらの感情を克服しては、また悲嘆に暮れたり……。心に穏やかな細波が打ち寄せているときがあれば、荒波が打ちつけてくるときもあります。その波間にときめきがあれば明るい感情が射し込んできます。しかし、常に明るいプラス思考ではいられません。
結局、私たちは、かなしみ→ときめき(希望)→かなしみ→ときめき(希望)……といった心の循環を重ねながら命の駒を進めているのかもしれません。こうして心が不断なサイクルのなかにあるのだとすれば、「人間とは、本来、かなしみやさみしさをまとった存在なのだ」と思い定めることができ、それ以上のかなしみ・さみしさを抱えることになりません。あとは安心して、その心の上に希望の種を蒔くことができます。その種が芽を出し、やがて花を咲かせれば、心にときめきが生まれるはずです。
心で育んだ希望は、「明るく前向きに生きなければ」と考え、人間が、本来、宿しているかなしみ・さみしさを封印して無理矢理に絞り出した明るさと異なります。かなしくてさみしい圃場に芽吹いた希望には根があるのです。ちょっとやそっとの出来事で散り去ることはありません。その希望からは、生きがいや新たな希望が生まれてくる……、という好循環に入ることができるのかもしれません。
(構成 関 朝之)
帯津三敬塾クリニック
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ホリスティックな医療を求めて、多くの患者さんが集まる帯津三敬病院(埼玉県川越市)